住所 福島県いわき市四倉町字5丁目218 道の駅よつくら港 2階フードコート内
電話番号 0246-32-8075
営業時間 10:00~18:00
定休日 第3火曜日
喫煙 不可
こくまくくぅ「秩序-権力構造は、必ず、どこかつじつまが合っていない。主体(主人)が多すぎるためなのだ。」
人形くくぅ「
それぞれの主体が、それぞれに世界の中心だし、それぞれの主観的な欲望によって世界観は歪んでいる。」
こくまくくぅ「なので、世の中は、必ず、誰が権力を行使しているのか、わからなくなる逆転可能性に満ちている。もし、神という究極の主体が、唯一の主人として、人間の宇宙に直接介入できるのであれば、こうした混乱した事態は起こらない。」
人形くくぅ「
しかし、そうした神の恩寵が見通せるなら、人はすべて、神という唯一の主人に従属する奴隷(操り人形)のような存在になってしまう。」
こくまくくぅ「そうした決定論の自動人形にならないのは、主体化の自由を確保しているからだ。神とは、この自由にこそ相関しているわけだ。」
人形くくぅ「
機械的な自動運動からの自由にこそ、創造的な可能性がある。」
こくまくくぅ「人は、自由な選択が可能なのだ。そうした諸主体による、ばらばらな利己的な自己主張、つまり、相互に排他的な多様な意見(意味)が錯綜しているのが、人間世界なわけだ。なので、秩序が安定するためには、相互につじつまの合わないそれぞれの主張(欲望)の過剰を、収容する、空っぽの容器、のようなものが機能していなければならない。」
人形くくぅ「
要するに、神とか、民主主義とか、理想とか、公正とか、平等とか、そういった空虚な理念だ。」
こくまくくぅ「そうした理念的な、空の容器に、人は、互いに拮抗する、それぞれの勝手な意味や幻想を投げ込むことができる、ので、表面上は理念的統一を共有できるのだ。」
人形くくぅ「
その理念の名のもとに統一される。」
こくまくくぅ「こうした、空虚な象徴的形式の確保のない秩序はない。一連のつじつまの合わない姿勢、社会的な敵対関係や矛盾、を、一つに組み合わせて、束ねなければならないのだ。」
人形くくぅ「
こうして、多様な欲望を束ねて、秩序は維持される」
こくまくくぅ「ラーメンも、ある意味では、こうした空っぽの容器だ。みんなが好きな食べもの、という合意を取りつけているが、その内実は、さまざま、ばらばら、なわけだ。」
人形くくぅ「
表向きは、何か、共有財産のように機能する。しかし、そこに回収される幻想的な想いは、ばらばらなのだ。」
こくまくくぅ「たまたま、あるものが、何らかの加減で、そのように、人々の欲望の対象として機能し始めると、それは、独り歩きして、特別な対象となる。それが、社会的安定の調整をする。」
人形くくぅ「
だから、誰もがそれについて語り、少しずつ、それにイライラする。自分の思うラーメン観と、他の人のそれとが、微妙に食い違うからだ。」
こくまくくぅ「主流は、常に、絶えず、ずれる、というよりも、もともとそんな内実は幻想としてしかないのだ。」
人形くくぅ「
自分の価値観にとらわれ、自分の基準に拘泥するが、それぞれが、勝手に思い込んでいる偏見の束なのだ。」
熟成味噌ラーメン 750円
こくまくくぅ「さて、奇しくも、こちらも、喜元門よろしく、
喜びの帝国だ。」
人形くくぅ「
山塩国に海浜国がある。喜という文字は、いまや、特別かもなあ。」
こくまくくぅ「やはり、帝国化、多店舗展開は、実力の証拠だろう。どちらも、独創的なアイデアが鮮明だ。やはり、そこが重要だろう。」
人形くくぅ「
説得力というか、人を説得するオリジナルなコンセプトがある。」
こくまくくぅ「まあ、いろんな店を見ていると、スタートラインで決まる、感じだ。満を持して、準備万端、これぞ、というものを打ち出す必要があるだろう。おぼろげでも、どうしても、これがやりたい、というような感じが見えないとね。」
人形くくぅ「
やりたいことの強烈な核を持っていないと、どのみち、社会では、壊されて、自分を見失うわけだからね。最初から何もないと、ただ単に浮薄に流される。それじゃあ、人は納得しない。」
こくまくくぅ「自分の核を見失うと、軽薄な付和雷同になる。ウケ狙いの風見鶏になって、右往左往してしまう。歳とると余計にそういうスタンスになってしまう。」
人形くくぅ「
紋切り型の吹き溜まり、みたいになっちゃうと、そうした姿勢自体が、説得力がないので、ウケ狙いをいくら取り入れても、結局、たいしてウケない。と言いたいところだけど、でもまあ、それにウケる人もいないわけじゃあないから救われるわけだけど。何しろ国民食の幻想だから。」
こくまくくぅ「やりたいことがないと、しょっちゅうスタイルを変えることになるけど、結局、紋切り型の二番煎じをまぬかれない。開拓者、先駆者、になるくらいのつもりじゃないとね。やはり、独創性があるだけでも、たいへんなことだ。」
人形くくぅ「
賛否両論にはなってもね。だいたい、いいものは、賛否両論ある。それだけ、新しいものを切り拓いて、突出して冴えている、ということだ。」
こくまくくぅ「言うまでもないことだけど、何がしたいのかわからない店は、やはり、人もついていかないだろう。」
人形くくぅ「
手頃な便利さとか、そういうところで、凌ぐしかない。まあ、どこでも、ちょっと近場で食事に食べにくる人はいるものだよね。別に、それはそれでいいわけだ。」
こくまくくぅ「まあ、こんな味噌ラーメンは、そうそう作ることは、不可能だろう。ちょっと画期的というか、新次元の一杯だ。」
人形くくぅ「
喜一といえば醤油、喜一といえば塩、など、主観的な思い込みはあるだろうけど、喜一といえば味噌、も、かなり有力だと思うなあ。」
こくまくくぅ「これ、絶対に、食通ウケする、はずだ。まだこれを知らない食通をうならせること必至だろう。」
人形くくぅ「
オリジナリティも斬新さも精度も高い。もちろん、味は、まさに、皇帝、ナポレオン、という称号にふさわしい、という感じだ。」
こくまくくぅ「香気が高貴だよね。広く世の中に認知されるはず。この味噌だけで、喜一、有名になってもおかしくない。」
人形くくぅ「
なにか、クリーミーさが増して、より芳醇になったような。本店と同じ感じになったかな。」
こくまくくぅ「芳醇クリーミーを、コクのある香りの土着的な味噌感が裏打ちしている感じだ。この背中合わせの感覚がただ事じゃない。冴えている。よほど、すべてに精通していないと、できないはずだ。」
人形くくぅ「
結局、人生そのものが、流れ込む、し、出る。どれだけ感覚を研ぎ澄ましているか、生きざまが想像できる。」
こくまくくぅ「軽薄な人は、それなりに、なんだよね。一朝一夕の見よう見まねでは、こういうのはできない。結局、どこまで、気が回るか、気が利くか、気が行き届くか、だ。差が出るところは、そことしか言いようがない。」
人形くくぅ「
ものすごく凝っている。しかしながら、表面はフラット、なのだ。この内部に張りつめている緊張感だよねえ。」
こくまくくぅ「見かけに凝っていて、中身がない、が、だめなラーメンの典型だ。やはり、人生があらわれるのか。」
人形くくぅ「
見かけ倒しで、ブランドものに凝って、大言壮語で、と、相場は決まっている。それも好きな人もいるところが、ありがたいところだ。」
熟成醤油ラーメン 500円
こくまくくぅ「あっさりした塩には、まろやかな、香り豊かな鶏だし、ややくせのある熟成しょうゆには、きりっとシャープな味わいの豚ガラだし、となって、うまく掛け合わせている感じなのだと思うけど。こうしたさりげない、気配りというか技が、さすがだ。」
人形くくぅ「
同じスープで、調味料の味だけ無造作に変えるパターンではない。」
こくまくくぅ「丁寧で繊細だ。気がつかなければ気がつかないようなところに、力を入れている。それが、全体のオーラになることを知っているのだ。この、塩と醤油を合わせたダブル・スープとなる、喜びの一杯、が、伊達じゃあないことは、理の当然だ。限りなく繊細に味わえるラーメンを作った、という感じなのだ。」
人形くくぅ「
醤油、塩、を食べて、喜びの一杯、に行く。といいよね。やってることのすごさがわかる。」
こくまくくぅ「まあ、繊細に味わいつくさなくても、フラットにうまい。何の気なしに、手頃なついでに立ち寄った昼ごはんで食べても、おや・・・、とかすかに思うはずだ。この、おや、が、いいところだ。世界が少しずれる。見かけ倒しの派手なうまさ、ではなくて、表面的には、あくまで、控え目な品のいいうまさだ。」
人形くくぅ「
この、喜多方麺がねえ、あまり喜多方っぽくない細さで、ウマいんだよねえ。ほんとに、ここの女王様の、選択センスには感服する。ひょっとして、一番好きな喜多方麺かも。」
こくまくくぅ「目から鱗の衝撃がある。香りもよく、食感もよく、単純にうまい。喜多方の精鋭、天高盛とも通じるような。麺のシンプルなうまさを、特化し、純化した感じだ。」
人形くくぅ「
なにか、少し、喜多方色を脱却したような食べやすさとうまさ、だよね。軽さ、がいい。クセのあるローカル色が蒸発したような。その上で、ウマさのレベルがびしっとキマッているところが感動的だ。」