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郡山大勝軒

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住所 福島県郡山市富田町字乙路後18-1
電話 024-935-4262
営業時間 11:00~21:00(スープが無くなり次第終了)
定休日 水曜日
P 店舗前・横にあり
禁煙
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小皇帝くくぅ人形「ててて、外は、土砂降りなので、外の撮影はなし、暖簾も裏側から撮影、なのであります。室内部隊のわれが、その分ガンバルのであります! てて!! よいか、人形たち!!! てっ!

こくまくくぅ「主体性は、この世に居場所がない。この寄る辺ない空無を埋めようとする渇望が、欲望だ。この欲望という不可能な試みに対応する、最も有効な対処法は、この空虚な主体性そのものを、無限遠点の彼方に、投射してしまうことだ。」
人形くくぅ「手の届かないどこか彼方に、主体性の居場所を仮想するわけだ。つまり、それこそが、神、メシア、だ。
こくまくくぅ「メシア的希求とは、そういうことだ。結局、空っぽの主体性の穴埋め作業だ。」
人形くくぅ「しかるに、メシアの到来は、永遠に先送りされる。ゴドー(ゴッド)を待ちながら(ベケット)、だ。いつまで待ってもゴドー(ゴッド)はやってこないので、その間、延々と待ちぼうけの無駄話が続く、というわけだ。
こくまくくぅ「われわれは、この崇高化された主体性(主人)、という対象とのギャップを、頑なに主張し続けることで、自らの主体性を外在化したままにし、そうして、他者性として扱っている限りで、自らの主体性の謎を、宙に吊る。」
人形くくぅ「要するに、自らの主体性の問題を保留にする算段だ。
こくまくくぅ「主体性の空虚な内実を、他者として、彼方の絶対性に還元してしまえば、われわれは、日常的には、主体性の問題(疑問)を棚上げして、思考から排除できるので、主体性の要求(主体化)を満たすことのない、単なるプラグマティズムに専心できる。」
人形くくぅ「現実主義的なプラグマティズムは、メシア的約束は、事実上、実現不可能と決めつけてしまう。そうした問題は、宗教やスピリチャル文化に任せてしまう。
こくまくくぅ「そうすれば、超越的な他者性(絶対的な主人)を参照することのない、プラグマティズムは、すでに文脈化されている状況(秩序形態)に、われわれの活動を限定して、その中での日和見主義的な活動に専念することができる、というわけだ。」
人形くくぅ「絶対的な他者性(崇高な理念)という問題は、宗教や、全体主義の問題、と見做す。全体主義は、急進的に、彼方の理想を、政治的に性急に実現しようとするものだ。
こくまくくぅ「しかしながら、本当は、この他者性は、実は、われわれの内部にある厄介な問題なのだ。」
人形くくぅ「私とは一個の他者だ(ランボー)、というわけだ。
こくまくくぅ「だから、この自らの内部の他者性の突出を縛り、その表面化を避ける、ために、表面的なコミュニケーションの普遍的規則を固定して、この他者性を封じ込める。」
人形くくぅ「そうしないと、結局、自分自身の中の他者性も、他人の中の他者性も、相互にうかがい知れない、過剰な特異性としてあらわれてしまう。
こくまくくぅ「公共の、一連の不文律によって、人間同士の関係を、規制しなければならない、わけだ。」
人形くくぅ「こうして、コミュニケーションの普遍的規則は、それ自体が、本来的に他者性の抑圧なので、逆に、他者性の尊重、というテーマが課題となる。不可避的な自らの他者性を飼い慣らさなければならないからだ。
こくまくくぅ「主体性という他者性に抵抗するために、社会的諸条件によって、それを規制し、そのコントロールが、他者性の尊重、という主題となる。」
人形くくぅ「自分と違う他性を、いかに遇するか、という主題に関心を集中することで、実は、自らにとっても、自らが直に他者である、という主体性の困惑を、すり替えて、隠蔽するわけだ。
こくまくくぅ「この主体性とは、絶対的な自由、自律性、という怪物(狂気)だ。この主体性への応答責任において、われわれの秩序は可能になり、形成されている。」
人形くくぅ「秩序にとっては、主体性が無条件の必要性だ。しかるに、その条件を、神として外部化し、神が秩序を作った、とする。
こくまくくぅ「われわれは、通常は、よく考えて行動するのが、善だ。」
人形くくぅ「跳ぶ前に見よ。
こくまくくぅ「しかし、主体化とは、いわば、一種の自動的な行為、なのだ。」
人形くくぅ「暗闇の命がけの跳躍(マルクス)だ。考えるな、跳べ。
こくまくくぅ「行為の論理は、そうしなければならないから、そうする、だ。純粋な主体的行為とは、超越的な行為として、戦略的な配慮を超えてしまうのだ。」
人形くくぅ「人が、決定を下す一瞬は、相互媒介的な規定要因によって統制されたコミュニケーション規則を、超過してしまう、わけだ。
こくまくくぅ「そうした、十分に考えることのない、絶対的な決定行為がなければ、秩序は起こり得ない。創始者の身振りは、常に、自由という名の狂気、なのだ。」
人形くくぅ「それゆえ、創始の身振り(主体化)は、トラウマ的な出来事として、抑圧、隠蔽されなければならない。その穴埋めが創世神話なのだ。神様が作ったことにする。
こくまくくぅ「神話として、はじめて秩序内に内面化され、自己内閉鎖の円環を閉じる。」
人形くくぅ「およそ、創始者は、狂人扱いされるものだ。その手探り状態の盲目的行為が、実を結んではじめて、美談(偉人伝)となって、内面化される、というわけだ。

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みっくすチャーシューめん 無料大盛 880円

こくまくくぅ「こうした魚だし系スープに、中太麺、という組み合わせは、もちろん、大勝軒が創始したラーメンだろうけど、このパターンというか、インスパイア系は、東京には実によくある。」
人形くくぅ「たいていは、麺大盛でスープががぶがぶ飲めるタイプで、行列的な人気繁盛店だ。
こくまくくぅ「大勝軒の系列はもちろんのこと、インスパイアとみられる店も多い。ざっと、思い出すままに挙げてみると、サニー(ひばりが丘)は直系だ。ここは好きでよく行った。むらもと(大岡山)は、永福大勝軒系だ。ここもよく行った。小平大勝軒も永福系だ。ここもよく行った。最後の頃、店主さんが、歳だからそろそろやめる、ようなことを言っていたから、もうないかもなあ。あと、直系なのかどうかよく知らないけど、十兵衛(練馬)、麺彩房(中野)、はやしや(大久保)、麺や八蔵(幡ヶ谷店の頃に行ったが、今は、若林に移転したようだ。その世田谷通り沿いの店舗は、もと、ふくろう、という店名のラーメン屋で、そこも行ったことがある。そこで、はじめて、ラーメンの写真を撮っている人を見かけたなあ。数字で打ち込む券売機もはじめて見た。だいぶ前の話だ。番号制の券売機は山形の名店、ケンちゃんラーメンもそうだったかな。)などなど、だ。」
人形くくぅ「柏にある大勝も永福系だ。ここは、珍しく普通盛りがある。油そばの老舗、珍々亭(武蔵境)のラーメンも、中太麺で似ているな。たいていが、がぶがぶ飲める飲み心地のよい魚スープで、中太麺はストレートで、するする入るタイプだ。地方では、大勝軒系列以外だと、あまり見かけない感じだ。。
こくまくくぅ「やはり、この感じは、時々食べたくなる。で、また、来た。しかも、ここは、その白眉だ。会津美里のな生江食堂も、大勝軒系列で、か・な・り・うまい。」
人形くくぅ「ここのは、以前は、もう少しクラシックというか、ややぼんやりした印象もあったけど、ちょっとマイナーチェンジして、垢抜けた感じになった。やや節系が強くなり、その香りの輪郭づけで、シャープで明快な味わいになった感じだ。
こくまくくぅ「やや、かつお節の香りが強いかな、という気もするけど。でも、ぐっとメリハリが効いて、わかりやすいうまさになった感じだ。つけ麺のつけダレも、同様にメリハリが効いて、より明確化した感じだ。。」
人形くくぅ「麺も、一皮むけた感じだ。もともと特徴的だけど、ぐっとレベルアップしたかもね。輝きを増して、独特の食感が楽しめる。この素晴らしさは、類を見ない。
こくまくくぅ「やっぱ、つけ麺は、これでしょ、になっちゃうかもね。結局、大勝軒の常勝かもなあ。なんだかんだで、一瞬、気をとられても、結局、これに勝るような店が出てこない、気がしちゃう。」
人形くくぅ「よく、麺がスープとよく絡む、とか、もちあげる、とか、一辺倒の紋切り型の褒め言葉が言われるけど、これは、むしろ、ストレートのつるっとした麺肌が、スープとあまりなじまない感じがいい。水気も豊かなので、あまりスープを吸わない、というか。スープと麺のセパレート感が、むしろいい。麺がいつまでたっても瑞々しく、スープはスープ、麺は麺、の独立的な持ち味を活かしているところが、むしろうまさだ。
こくまくくぅ「つかず離れずの絶妙なマリア―ジュというかね。それで、多い水気で、麺が軽い食感にもなるというかな。するする入る。しかも、大盛りでも、もたれない。後味も軽いのだ。かなりのすぐれもの、の麺だ。」
人形くくぅ「今日は、チャーシューを3種類味わった。まあ、チャーシューの選択制など、流行りもの、新感覚、の導入で、軽薄な感じに、奇態なカジュアル化するのもなあ、とも危ぶんだけど、まあ、落ち着いた感じで、本文をはずしていないので、よかった。
こくまくくぅ「チャーシュー選択制といえば、喜元門が、絶品の新次元的なチャーシューを5種類くらい用意して、圧巻、強烈な印象、なんだけど、まあ、これは、オーソドクスな感じで、手堅くうまい。ラーメンに自然に馴染んで、うまくできている。」
人形くくぅ「あたりさわりない、といえばあたりさわりない。おとなしめの感じだ。福島は、チャーシューは、奥手な感じの印象かな。わりとどこもオーソドクスだ。チャーシューの花形、バラロールもあまり見かけないような。大須賀のバラロールが、すごくうまいけどね。
こくまくくぅ「喜元門は、肉の部所が、もはや違う。チャーシューというより、肉の味わい、だ。チャーシューくさくない。既知のチャーシュー観を覆される。まあ、ラーメンンも新次元だから、ラーメンに合っていないとしょうがないわけだけど。」
人形くくぅ「肩ロース、バラロール、もも、だけど、不思議と、出来というか、仕上がりというか、質感が似ている。盛りつけもかわいい。やはり豪勢でいい感じだ。

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辛しつけ麺 無料大盛  750円

こくまくくぅ「辛子玉、ピリ辛、など、流行りもののアイテム導入で、こちらもウケ狙いの軽薄化になっていないか、心配したんだけど、さすがに、これも、手堅くこなしていて、ほっとした。」
人形くくぅ「ひねこびた、世間ずれした、すれからしのラーメンもうんざりするからね。たいていが、そうした上辺の装飾を取ると、スープと麺という、本体中身の実力は、さしてないし。デコの話題性に惹かれる食べ手も多いしね。
こくまくくぅ「ピリ辛、だけど、やはり、軽薄なワルノリにならずに、スマートにこなしている。辛バージョンはここでは、初めてだけど、すごくよくできていて、かなり、うまい。まあまあの辛さ加減も、ちょうどいい。」
人形くくぅ「ベーススープが、もともと、メリハリの効いた、もはや殿堂入りの甘辛酸の絶品なんだけど、さらに、辛み、うまみが加わって、バランスが崩れていないどころか、うまく仕上がって、かなりイケる辛つけになっている。
こくまくくぅ「こちらで食べるのもアリ、だな。50円で、このバージョンアップはうれしい。100円とってつまらない辛バージョンなことは多い。ただ、単に、辛くしただけの凡庸なやり口が多い中、こなれた味加減で、よくできている。立派な一品だ。」
人形くくぅ「情熱的な甘さに、辛さ、となっていて、類を見ないうまさだ。ちょっと、タイなどの、スウィート・チリを思い出すような感じかな。なんかエキゾチックでもあるよね。これ、東南アジアで、ばかウケするんじゃあないかねえ。
こくまくくぅ「思いきった個性的な味わいだけど、もちろん、このつるつる光り輝く麺によく合っている。もちもちしっとり感に甘い辛いが合うんだなあ。これ、技術的に最高峰じゃあないかなあ。」
人形くくぅ「やはり、つけ麺の麺はこうでなくちゃね。あらゆる側面において魅せる麺だ。魅せ方の弱い、惰性的な太麺が多すぎる。
こくまくくぅ「最近、惰性的で怠惰なつけ麺は、もう食べたくないなあ。ヒドイ場合、涼をとるためのものと思われている。」
人形くくぅ「チルドもだいたい駄目だしね。これ、つけ麺好きなら必食の麺だよ。
こくまくくぅ「つけダレもね。」
人形くくぅ「やはり、水気を多く含んだ麺が、あまりスープをまとわずに口中にやってくるコンビネーションの食感がいい。麺は麺の持ち味、タレはタレの持ち味が、よくわかり、双方がせめぎ合い、融合する、ドラマチックな味わいだ。この緊張感ある感じが、だれずに、最後までするするいける快感を呼ぶ。
こくまくくぅ「やはり、自家製麺の力は圧巻だ。味もさることながら、しなやかに照り輝くルッキングも抜群だ。盛りつけの素晴らしさでも食欲をそそらないとね。具材などの装飾品で魅せる店も多い。まず、何より、麺のみ、で魅せてほしいところだ。」
人形くくぅ「今日のキューブチャーシューは赤身がほとんどだ。濃厚魚介の時は、あまい脂身が多かったけど、仕様が異なるのかな。


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by dasenkadasenka | 2013-09-07 18:33 | 郡山市